名酒蔵の挑戦

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有限会社渡辺酒造本店

福島県郡山市西田町三町目字桜内10

TEL 024-972-2401 

 

北国の美酒を

渡辺酒造本店は、阿武隈山系の麓に位置する。自社田に囲まれ、見渡せば山々の豊かな自然。しんしんと冷える冬は、雪も降り積もる。酒銘「雪小町」には、北国の「雪」と美人の代名詞「小町」で北国の美酒にしたいとの願いが込められている。明治4年、地元向けのお神酒酒屋として創業して以来、あぶくま鍾乳洞由来のミネラルを多く含む仕込水を使用し、「雪小町」の歴史を育んできた。

 

安全安心な酒」宣言のために

当主50歳、渡辺康広氏。先の震災により原発で風評被害が蔓延していく中、福島県酒造組合が、安全安心な福島の酒を宣言するためのエビデンスを構築した人物でもある。新潟大学農学部で土壌学を学び、放射線の研究をしていたのが功を奏し、米粒から酒を造りあげるまでの一環した知識で取り組んだ。放射性物質を吸収させないカリウム肥料を使用した酒米生産を推奨し、酒造メーカーには国の基準の10分の1を超える放射性物質が検出された場合には原料として使用しない、という徹底した管理を実現させる。福島県酒造組合は、商品、仕込水、原料米、酒粕にいたるまで放射能分析検査を行い、検出下限値10Bq/以下でのND(不検出)確認、という厳しい自主規制のもとで、放射性物質を検出したことはないと断言する。あの事故さえなければしなくてよかった役割だが、その役目を無事まっとうし、今は酒造りに全精力を傾けている。

 

金賞受賞率向上への挑戦

 渡辺氏が25年前、実家である蔵元に戻ってきたときは、渡辺酒造本店の造る普通酒の割合は90%だった。そこから試行錯誤で、杜氏、副杜氏、渡辺蔵元の3者で工夫を積み重ね、奮闘して平成6年に全国新酒鑑評会で金賞を受賞。商品構成も特定名称酒の割合を多くしていった。

福島県の酒蔵全体の金賞受賞率は全国でだんとつに高い。それには福島県ハイテクプラザの醸造科長、鈴木氏の貢献があり、麹や造りのバランスが他県の指導とまるで違うという。その指導もあって、ともに渡辺酒造本店も金賞受賞率を上げていった。

「こういった商品のコンセプトを作ってくれたのは亡くなった杜氏です。そのデータは5年分ぐらい残してくれたので、それを見て、3人で今は約1000石造っています。米洗いなどは、営業を含めて総勢9人で行います。普通吸水率は30%前後ですが、思い切って25~25.5%平均でキュっと締めます。米の状態を見て、10秒刻みで私が判断を下していきます。

原料米は、平成5年の大凶作をきっかけに自分の田んぼで美山錦を作り始めまして、その他は契約栽培で400俵は買い取ります。

仕込み中は心配で心配で、夜中から朝方まで3回ぐらいタンクを見にいきます。タンクの温度調整をし、醪の醸貌を見て母屋へ戻ります。そりゃ寒いですよ~。でもやっただけのことは返ってくるだろうとの期待のもとにやってます。人事を尽くして天命を待つ!ですね。」

 

特定名称酒主体へのシフト

大学卒業後は、メルシャン灘工場に勤務となり3年間神戸で過ごし、平成2年に蔵に戻る。最初は杜氏と副杜氏に造りは任せて蔵元は営業に力を注いでいた。

「マーケットが激動の時期でしたね。平成7年に阪神大震災があって、パック酒の2L、3Lパックも出て、スーパーが台頭してきた。地方の中堅問屋さんが吸収されたり潰れ、酒販店の多くがコンビニに転向し、DSが出てきた。お酒はその市場にマッチするものに変わっていきました。昔からのお取引きの地方問屋さんは20軒あったのが、今は件だけです。

だからその頃は造りも見ながら、営業が優先でした。うちもパック酒を出していましたが、決算の数字を見るとよくないんですね、このままではいけないと、総量を減らして特定名称酒にシフトしていきました。今は特定名称酒7割、普通酒3割。15年ぐらいかかってここまで来ました」。

9割は普通酒だったところに、特定名称酒の新しい販路を求めるには、全国行脚が必要だった。

「札幌から九州まで行きました。DMを送って、反応が返ってきたら私がお邪魔するという形で、1店1店、ひとりで訪ねて歩きました。全国の高速道路は知り尽くしました。博多から札幌まで飛んだこともありましたよ。いや~今思えば面白かった!」

 

蔵元職人杜氏としての新たな目標

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関東は全体生産量の2割の出荷があり、他1県につき1〜2店舗の割合で取引先を確保していき、今は酒販店からホームページを見たり評判をきいて問い合わせがくるという。

こうして販路が全国に及んで安定需要が見込まれた中、35年間勤めあげ全国新酒鑑評会3年連続金賞を果たした先の杜氏(66歳)が急逝。蔵元にとって大きなショックだった。が、その後彼から業務を引き継いだ今、蔵元職人杜氏となった渡辺蔵元は、次なる挑戦に挑む。

「今年から、精米歩合50%の米を麹米に使うことに踏み込みました。もちろん普通酒にも50%精米の麹米を使います。精米50%の麹米に、掛米は70%精米の千代錦を使って普通酒を造りました。これ吟醸酒ですかと言われます。味のきれいさ細やかさが、吟醸酒っぽいんでしょうね。

すべての酒を低温発酵にしています。こうしないときめ細かさと滑らかさが出ない。あとは磨きすぎないことを考えています。50%磨きで美味しいきれいなお酒ができないかと。お米の種類を考えながら精米は、50、55、60、70%にする予定です。日々挑戦です。

「雪小町」は、うまみがあって切れがあるお酒をめざします。削らないぶん、かかる玄米の量も少なくていいから、そこは価格に反映しようと」

増税の際の値上げが相次ぐ中、値上げ宣言をしていない渡辺酒造本店は消費者に優しい。

仕込み時期には、タンクの酒を見るために底冷えする酒蔵に、渡辺蔵元たったひとりで向かう日々が続く。蔵内に流しているBGMは、ZARD(ザード)の「負けないで」。

 

 

笹祝酒造株式会社

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新潟県新潟市西蒲区松野尾3249

TEL0256-72-3982

地域密着を軸に次代の風を

笹祝酒造のある新潟市西蒲区松野尾は、北国街道の交通の要所だった。笹口岱作の妻マカはここで「おマカ茶屋」を営み、酒がたいそう売れる。そこで、宮大工で、酒造技術も取得していた岱作が酒造業を興すことになる。時は明治32年、笹口醸造場と称して「笹祝」の歴史がここから始まった。豊富で良質な水と越後杜氏の技で、地酒造りが面々と受け継がれ110余年、平成の今、6代目の蔵元に引き継がれようとしている。

豊かな自然を守ってこそ

新潟駅から越後線で30分余り、越後曽根駅から車で10分ほど走ると笹祝酒造に到着する。見渡す限り田んぼ、田んぼ。すぐ近くには日本海の海原が広がる。「この豊かな自然を守ってこその酒造り」と当主の笹口孝明氏。巻原発建設の可否をめぐり、巻町長として環境保全に尽力した。住民投票で巻原発建設計画を白紙撤廃とさせた人物である。今は町長を退任し蔵元業に専念しているが、笹口氏の残した功績は大きい。

製造量のほとんどを地元で消費される「笹祝」は、地元のための地元の酒であるだけでなく、地元の肴を引き立て、地場産業を守ってもいる。そんな商いをし、地域に尽くしてきた蔵元を引き継ごうと、長男である笹口亮介さん(30歳)が今春、蔵に戻ってきた。東京の大学を卒業後6年間、神奈川の酒販売店を勤めあげての帰還。だが、大きな父の後を継ぐのは大変ではないか、と問うてみる。

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「必ず聞かれるんですよ。大丈夫です。家業を継ごうと思ったきっかけは、首都圏でうちのお酒が好評だったからなんです。大学時代に名酒センターでアルバイトをやらせてもらって、3種3杯を勧めるときに、うちの銘柄も入れてたんですね。そしたら「笹祝」美味しい、って結構言われたんです。新潟にいる頃はうちのお酒が東京で飲まれるイメージが湧かなかったんですが、現実にびっくりするほど評価が高いのを肌で感じました。それが今、一番の原動力になってます。まだ戻ったばかりですが、今の「笹祝」の味を100%畠山杜氏から引き継ぐことをまずは目指します。自分としては10月から3月まで造りで、4月からは営業でというスタイルを確立したい。宅配便でお酒を送り出すだけじゃわからないことが、たくさんあると思うからです。自分が造ったお酒を自分で消費者に注ぐ試飲会などの機会を多く作り、直接お客さんの意見を聞いて、それを蔵に反映させていきたいです」

 肌で感じた流通現場を武器に

酒販売店勤務時には、ワインショップ、飲食店の営業を担当。ビールや焼酎、米や調味料まで営業したという。

「営業部では日本酒担当だったんですね。扱う日本酒の銘柄を一新しようということで、かなり蔵巡りをしました。いろんな蔵へ行きましたよ。印象に残った蔵元は、全国の酒屋さんを集めて、株主総会みたいに、こう造るけど文句とか注文言ってくださいとマイク持ってくるっていうのがありました。

自分は醸造科出身ではないですが、首都圏における流通の現場、つまり売る人、提供する人、飲む人の現場をつぶさに目の当たりにできたことは、これからの武器になるかと。すごい刺激になりました。いろいろ見ていくうちに自分のやりたいことがわかってきました。ラベルとか商品構成は意識してます。中には酒屋として売りにくい商品構成やパンフレットがあって、酒屋さんで売りにくかったら、その先の飲食店ではもっと売りにくい。消費者にも届きにくい。パンフレットも整理されてわかりやすいのを作りたい。後は、飲食店がそのときの旬のものを出しているのにお酒が365日同じでは…。

お酒が市場につていけてないかなと思うんですね。1年中飲める定番と、季節ごとに段階を経て提案する酒を変えられたらいいなと考えています」

 父子のキャッチボール

仕事で蔵巡りしているときは、もはや自分の蔵のことを考えていたという。酒屋へのアナウンスの仕方もちゃっかり学びました、としたたかな姿勢を見せる次期蔵元。すっかり栄養をつけて戻ってきたと見受けられる。そんな息子を迎えた現蔵元は、

「最近の若い者はというのが一番嫌いだとある人が言ってましたが、今の時代、若者の環境は厳しい。生き残るためには若い人はいろんなことを考えていて、我々にないノウハウをいっぱい持ってる。そういう意味で、若い世代を否定する感覚はない。むしろ逆に期待するところが大きい。我々は義理人情、誠意とまじめさで、真摯に接して、そうしていると間違いがなかった時代を生きてきた。奇抜なことをやると一時的に受けたとしても、信頼を失わないでおくほうがいいという方針だった。それは引き継いでもらいたいけど、そればっかりではいかない時代に来ているんですね。我々の年代がやるのは限られていて、若い人は可能性を持っているということです。切り開くのは、自分でやっていってほしいと思ってます」。

蔵の中心としてどしっと構える蔵元を尊敬する息子は、蔵元の築いた軸を基盤にして未来を切り開こうとしている。

「蔵に戻るのも、味にしても体制にしてもしっかりした軸を作ってきてくれたからこそ、その軸をぶらさないで自由にできるというところがあります。ボトルをおしゃれにしたり、美味しい見せ方はやっていかなきゃならない。そういう挑戦ができるのも軸があるからこそ。低アル原酒とか、無濾過生原酒とかいろいろ新しいものを出しているお蔵元さんがありますが、僕ももっと挑戦していける何かを見つけたい。季節ごとに出せる商品も大切。そんな中でぶれないお酒って何かなって考えたら、食中酒だなって思うのです。うちでは「笹印」で、そこを守りつつちょっとずつ冒険したい。同じタンクでも搾り方、出し方でお客さんに新鮮な提案できると思うんですね。「笹祝」って美味しくていろんなことをやる蔵だって思っていただけたら嬉しい」。

黙って聞いていた蔵元が口を開いた。

「やたら増やしすぎると、在庫管理が大変。いろいろやるのはいい。でもスクラップ&ビルドでやるという前提でね」

「それは同感です。情報の提供も必要で、今フェイスブックにも力を入れてます。常に新しいってことを見せたい」

ここで、蔵元から名言が飛び出した。

「人間はスーパーマンになれるからね。例えば、横になってて何か頼まれても立つのが億劫。自分がスタンバイしているスタンスだと何でもできちゃう。あれもやればこれもできる。人間ってそういうもんだと思うよ」

次世代は応じた。

「はい。幸いやることが多くて、スタンバイ中です」

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 父子のキャッチボールに絆がのぞく。