『日本酒と水と〝縁〟』

2025.02.14

 その日は何だか物事がスムーズに進む一日だった。
 長引くかと思われた仕事は予定よりも早く終わり、現場の挨拶も滞りなく済ませることができ、電車の乗り換えもほとんど待つことなく、気がつけば予想よりも一時間は早く最寄り駅に帰り着いていた。

 ふいに空いた自由な時間。
しかも明日は休日で特に用事はない。

 とすれば……やることは一つしかない。
 逸る気持ちを抑えながら足早に帰宅する。
荷物をソファの上に放り出し、部屋着に着替え、メイク落としなどを済ませる。

 翌週以降のスケジュールのチェックや、仕事の最低限の返信などをして、ノートパソコンの蓋を閉じる。

 ようやくひと息吐いたところで、あとはお楽しみの時間だ。


 頬が緩むのを感じつつ、冷蔵庫に入れておいた四合瓶を取り出す。


 栓を開けて、少し太めのグラスの八分目くらいまで丁寧に注ぐ。


『純米大吟醸酒 霞山』


 今日の晩酌用のお酒で、いつも通っているお店からお年賀でいただいたものだ。

 グラスから立ち上る香りを少しだけ楽しんだ後、グラスを傾け、ゆっくりと喉に流しこむ。


「おいしい……」
 柔らかな口あたりで、酸味や苦味のバランスが良く、キレがいい。どこか樽の香りがするようにも思える。


 初めて飲む銘柄なのだけれど、どこか懐かしいような、奥にある風味に覚えがあるような、そんな感覚に襲われる。
 だけどこれは別に不思議なことではないのかもしれない。
 水が合う、という言葉がある。
 その土地の水が身体に馴染むこと、転じてその土地の環境と相性が良いという意味だ。

 その言葉は、日本酒を飲む際にもまさに当てはまるのだと思う。


 日本酒と水は、切っても切れない関係だ。
 日本酒の原料は米と水であり、その八割が水でできている。
日本酒を造る上で使われる水――仕込み水はその製造過程の様々な場面で影響を及ぼし、その硬度や水質などで、日本酒の味を決める上で重要な役割を果たしている。

それゆえに、できあがった日本酒には、その仕込み水の性質が色濃く表れているのだという。
 使われている仕込み水を飲んだだけで、それがどこのお酒なのか言い当てることができる人もいるのだとか。


 私には当然そこまではできないけれど、それでもこのお酒に関してはわかる。

 なぜならこの『霞山』は……『花薫光』と同じ酒造で造られたお酒だからだ。
 私にとっての忘れられないお酒である『花薫光』
 その思い出の一杯と同じ仕込み水が使われただろう味に、共通する風味に、引っかからないはずがない。


 そしてその特別な一杯と同じ酒造のお酒を、お世話になっている馴染みのお店からいただけたというのも……〝縁〟なのかもしれないと思う。
 そのことを何となくうれしく思いながら、再度グラスを傾ける。

 口の中に広がる、新鮮だけど、懐かしい味。
〝縁〟が作り上げてくれた出会いと感動に感謝しながら、柔らかな余韻に身を委ねる。

 まだ、晩酌の時間は始まったばかりだ。

さけ×こえフルール第6話(五十嵐雄策原作)
【G’sチャンネル掲載URL】
https://gs-ch.com/articles/contents/ar92hDKWKNjyPQ2mvfasohjP

「さけ×こえフルール」単行本1巻,来月の2月27日に発売予定!


五十嵐雄策プロフィール

小説家・シナリオライター。東京都生まれ。
2004年KADOKAWA電撃文庫からデビュー。
ゲームシナリオや漫画原作、YouTube漫画脚本やASMR作品脚本なども手がける。趣味はお酒を飲むこと、釣り、旅行、ドライブ、ピアノ演奏等。他、著作に「ひとり飲みの女神様」(一迅社メゾン文庫)、「ひとり旅の神様」(メディアワークス文庫)、「七日間の幽霊、八日目の彼女」(メディアワークス文庫)など。

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