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『おりがらみと一年の終わり』
2024.12.05更新
『夏酒の季節』
五月になった。
後輩との楽しかったお花見も終わり、ゴールデンウィークもあっという間に過ぎ去り、気がつけば新緑がまぶしい季節。
なのだけれど……
「暑い……」
歩いていて思わずそんな声が漏れてしまった。
五月といってもまだ上旬なのに、上着を羽織っていたら汗ばむくらいだ。日射しもこの時期とは思えないくらい強い。年々、夏の訪れが早くなってきているような気がする。
仕事終わりの午後。
そんな季節外れの暑さからせめて少しは逃れようと、立ち寄ったのはいつものお店だった。
見慣れた景色のカウンターへ腰を下ろす。
選んだお酒は『嘉泉 特別純米酒 夏限定』。
いわゆる〝夏酒〟と呼ばれるものだ。
暦の上ではともかくとして、世間の感覚としては夏はまだまだこれからと思われるけれど、体感よりも早く季節が巡るのは日本酒の特徴と言えるかもしれない。
ただ、正確に言えば〝夏酒〟という種類のお酒はない。
この時期に出荷される、主に冷やして楽しむタイプのスッキリとした味わいのお酒が、一般的にそう呼ばれている。
ボトルが涼しげで、澄んだ青色や透明なものが多いのも印象的で、私はすこぶる気に入っていた。
とはいえ、この〝夏酒〟という名称が浸透しはじめたのは、ここ最近のことだ。
もともとは暑い時期に需要が伸び悩んでいた日本酒の売上を伸ばすために提案されたものらしい。
それだけ聞くと商業的な理由なのかと思われがちだけれど、どういったかたちであれ新しいものを採り入れることは、決して悪いことじゃないと思う。
もちろん古くからの伝統を尊重することは大事だけれど、それだけでは価値観が硬直化してしまう。
新しい風が必要なのはどの業界でも――それは私が働いている業界でも同じだけれど――言えることなのだ。
それに何より、〝夏酒〟はおいしい。
この暑さですっかり汗ばんでしまった身体に、スッキリとした軽やかな辛口が、文字通り染みこむように広がっていく。
「はぁ……」
アルコール度数が比較的低いものが多いのも、〝夏酒〟の傾向の一つだ。
さらにこの〝夏酒〟に氷を入れて、ロックにすることもあるのだという。
少し前までだったら日本酒をロックでなんてとんでもないと思われていたけれど、今では立派な飲み方の一つだ。それ以外にもたくさんの面白い飲み方が提唱されている。これもまた新しい流れなのだと思う。
「次はライムを搾ってみようかしら」
清涼感が増して、よりスッキリとした飲み口になるらしい。
そんなことを考えながらグラスを傾ける。
中身が半分ほどまで減ったグラスは、周囲の熱気に当てられて、もうすっかり汗をかいている。
夏はもう、すぐそこまで来ていた。
五十嵐雄策プロフィール▶
小説家・シナリオライター。
東京都生まれ。
2004年KADOKAWA電撃文庫からデビュー。
ゲームシナリオや漫画原作、YouTube漫画脚本やASMR作品脚本なども手がける。趣味はお酒を飲むこと、釣り、旅行、ドライブ、ピアノ演奏等。他、著作に「ひとり飲みの女神様」(一迅社メゾン文庫)、「ひとり旅の神様」(メディアワークス文庫)、「七日間の幽霊、八日目の彼女」(メディアワークス文庫)など。