『お祭りと日本酒』

2024.08.01

日が落ちて薄暗くなりはじめた広い境内を、オレンジ色の灯りが柔らかく包みこんでいた。

 聞こえてくるのは、たくさんの人々の喧噪と、どこか心をホッとさせてくれる懐かしい盆踊りの音色。

 十八時を過ぎたこの時間でもなお蒸し暑い夏の空気とも相まって、周囲にお祭りの賑やかな雰囲気を醸し出している。

『神田明神 納涼祭り』

 毎年八月のお盆近辺に行われるそのお祭りに、私はやって来ていた。

「すごいです……! わたし、こっちに来てから盆踊りって初めて見ました……」

 隣で目を輝かせているのは、お花見にいっしょに行った後輩だ。

 仕事の合間の世間話で何となくこのお祭りがあることを話したところ、ぜひ今回もということになったのだ。

 社殿の前のスペースに設けられた盆踊りの櫓に目を遣りながら、境内を歩く。

 納涼祭りということで、たくさんの屋台が並んでいたけれど、最初に向かうところは決まっていた。

 入口の大きな門のすぐ近くにある、簡易テント。

 そこでは――日本酒が売られているのだ。

 外で飲む……それも盆踊りの賑やかな雰囲気の中で飲む日本酒は、また格別だと思う。

 飲み慣れたお酒に、非日常というスパイスが加えられて、普段の二倍も三倍もおいしく感じられるのだ。

「すみません、こちらをください」

 注文したのは、『颯 純米吟醸 神の穂』。

 すっきりとしていてキレがよく、今日のような暑い日にはうってつけのお酒だ。

 後輩も、同じものを選んだようだった。

「それじゃあ桜ちゃん、乾杯」

「あ、はい、お疲れさまです」

 小さくコップを合わせて、提灯の光を表面に落としたお酒を口に運ぶ。

 果物のような香りと、ジューシーな味わいが口の中で踊った後に、滑るように喉の奥へと流れていった。

「はぁ……」

 思わずため息が漏れる。

 まさに至福の時間。

 心が柔らかい綿のようなものにそっと包まれる瞬間だ。

 隣を見ると、後輩も満足そうな表情でお酒の余韻に浸っている。

 辺りはすっかり夜の帳に包まれて、少しだけ涼しい風が流れはじめていた。

 盆踊りはますます盛り上がりを見せていて、周りでは音楽に合わせて楽しそうに踊っている人たちの姿も見受けられる。

 この『神田明神 納涼祭り』には毎年来ているけれど、去年の時点では、まさかこんな風に、後輩といっしょに来ることになるなんて、夢にも思わなかった。

 きっとこれも、日本酒がもたらしてくれた〝縁〟なのだろう。

 だったらもう少しだけ、その不思議なつながりに導かれてみるのもいいかもしれない。

「ねえ、桜ちゃん、まだ時間はある?」

「え? はい、だいじょうぶですけど……」

「そう、だったら――」

 盆踊りを楽しんだ後は、近くにあるいつものお店でもう少しだけ飲むのが、毎年の恒例だ。

 そのちょっとした二次会に、彼女も誘ってみようと思ったのだ。

「は――はい、ぜひ……っ……」

 大きくうなずく後輩。

 どうやら彼女との〝縁〟はまだ続いているようだ。

 お祭りの夜は、まだまだ終わらないのだった。

さけ×こえフルール第2話『笑顔の花』(五十嵐雄策原作)
https://gs-ch.com/articles/contents/argKL584QDTpz6e8KAB3dxxe

五十嵐雄策プロフィール

小説家・シナリオライター。
東京都生まれ。
2004年KADOKAWA電撃文庫からデビュー。
ゲームシナリオや漫画原作、YouTube漫画脚本やASMR作品脚本なども手がける。趣味はお酒を飲むこと、釣り、旅行、ドライブ、ピアノ演奏等。他、著作に「ひとり飲みの女神様」(一迅社メゾン文庫)、「ひとり旅の神様」(メディアワークス文庫)、「七日間の幽霊、八日目の彼女」(メディアワークス文庫)など。

過去記事一覧

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