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『桃の節句とにごり酒』 #2
2025.03.10更新
『日本酒と季節の移り変わり』
部屋の中を、良い香りが漂っていた。
ジャスミンのように華やかで、だけどその奥底にどこか馴染みのある心地よい香り。
漂ってくる元は……浴室。
胸を躍らせながら向かうと、そこにあったのは白濁したお湯の上に桜の花びらが散らされ、やわらかな香りをまとった湯気を上げる浴槽だった。
俗に『桜湯』などと言われているものである。
これをやろうと思ったのには……理由がある。
今日の仕事の帰り道、たまたま通りかかった神田川の水面を、たくさんの桜の花びらが流れていくのが目に入った。
『花筏』
こういった光景のことをそう呼ぶらしい。
目の前の桜色の奔流にぴったりな、趣のある、とても素敵な言葉だと思う。
そしてその光景を見た私は、思い立ってしまった。
家でもこれができないか、と。
そのまますぐに帰宅し、準備をする。
使った入浴剤は『嘉泉 湯浴みパウダー』
酒造が作っている入浴剤で、成分に日本酒が含まれているのだという。
そこに拾ってきた桜の花びらを何枚か散らす。
筏……というほど立派なものではないが、ボートくらいにはなったのではと思う。
予想以上の出来に満足しながら、ゆっくりとお湯に身を浸す。
華やかな香りがより強く感じられるとともに、滑らかなお湯が身体の奥まで温もりを染み渡らせてくれる。
日本酒には保湿効果や保温効果があるという話だから、そのおかげかもしれない。
桜の彩りと入浴剤の香りをたっぷり楽しんだ後、湯船から上がる。
髪の毛を乾かしつつ、準備するのはもちろん今日の晩酌だ。
『嘉泉 特別純米 東京和醸』

入浴剤に使った湯浴みパウダーと同じ酒造のお酒で、ラベルに桜が絵がプリントされているのが印象的で目を引く。
どうせなら桜つながりであり、かつ入浴剤とも関係のあるお酒にしようということで、今回はこれに白羽の矢が立ったのだ。
「ふぅ……」
喉に流れこむ、滑らかでやわらかな旨味。
それらをゆっくりと味わいながら窓の外を見る。
視界の端では、ほとんど花びらを散らした桜の木――名残桜が夜の帳の中にたたずんでいた。
それはそれで趣きがあったし、きっと来月には、新緑が目にまぶしい葉桜となって楽しませてくれるだろう。
日本酒を飲むようになってから、季節の移り変わりや、それにともなう美しさなどに自然と目が向くようになった気がする。
日本酒自体に、そういった季節を感じさせてくれる要素が多いからだと思う。
これもまた、〝縁〟と呼べるものなのかもしれない。
春の訪れを感じさせる夜風を浴びながら、そんなことを考えつつ、手にしたグラスを傾けるのだった。
さけ×こえフルール第6話(五十嵐雄策原作)
【G’sチャンネル掲載URL】
https://gs-ch.com/articles/contents/ar92hDKWKNjyPQ2mvfasohjP
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五十嵐雄策プロフィール▶
小説家・シナリオライター。東京都生まれ。
2004年KADOKAWA電撃文庫からデビュー。
ゲームシナリオや漫画原作、YouTube漫画脚本やASMR作品脚本なども手がける。趣味はお酒を飲むこと、釣り、旅行、ドライブ、ピアノ演奏等。他、著作に「ひとり飲みの女神様」(一迅社メゾン文庫)、「ひとり旅の神様」(メディアワークス文庫)、「七日間の幽霊、八日目の彼女」(メディアワークス文庫)など。