-
-
『日本酒と秋の先取り』
2025.08.26更新
『お祭りと日本酒②』
どこか懐かしさを覚える賑やかな音楽が、辺りに鳴り響いていた。
普段はどちらかと言えば閑静な雰囲気の神田明神の境内には、今はひしめくほどの数の人たちが集まっていて、楽しげな声を上げている。
『神田明神 納涼祭り』
毎年八月上旬に開かれるお祭りで、ゲストを招待しての盆踊りなども行われる。私は例年、初日に参加するのを恒例行事としていて、今年は数人の後輩といっしょにやって来ていた。
境内はすっかりお祭りの空気だった。

提灯やのぼりなどであちこちが飾り付けられ、牡蠣のカンカン焼きやフグの唐揚げなどの様々な屋台が立ち並んでいる。その中には日本酒が売られているものもある。お祭りの情緒を楽しみながら日本酒を楽しむことができるのは地味にうれしい。
そして今日は、この日のために用意していたものがあった。
トートバッグの中から、ステンレス製の保冷ボトルを取り出す。
「青葉先輩、なんですか、それ?」
後輩が不思議そうな顔で尋ねてくる。
「ふふ、これはね……」
小さく笑みを返しながら、これも同じく用意した紙コップにボトルの中身を注ぐ。

『白真弓 ヨーグルト酒』
それを家の冷凍庫で凍らせて……シャーベット状にしたものだ。
八月の夜は蒸し暑い。
午後七時を過ぎても気温はいまだに30度を下回っていない上に、これだけの数の人が集まっているのだから、熱気もすさまじいときている。
毎年、この暑さには悩まされてきた。
そんな暑さを少しでも和らげるべく、用意したものがこのシャーベット酒だった。
「わ、冷たくておいしい!」
「お酒っぽくないから、私でも飲めます」
「すっきりしてて良いですね、これ」
後輩たちにも好評のようだ。
そんな光景を微笑ましく見ながら、自らも紙コップを傾ける。
柔らかな香りとともに冷たい感触が喉を通り抜けていって、そこから全身に冷たさがすうっと広がっていくような気がする。うん、やっぱり持ってきて正解だった。
ふと目を遣ると、境内の中央では盆踊りが始まっていた。
鮮やかにライトアップされた櫓の上で、ゲストとして招待された声優が先頭に立って、その周りでたくさんの人たちがリズムに合わせて踊っている。
こうしているとここが都会のど真ん中であることを忘れてしまいそうになるほどの、郷愁を覚える光景だった。
去年も感じたことだけど……こうした非日常感が、お酒をよりおいしくしてくれているような気がする。
お酒を楽しむ上で、どこで飲むか、だれといっしょに飲むかという要素は、とても重要なものなのだ。
「盆踊り、青葉先輩もいっしょに踊りませんか?」
と、後輩の一人がそんなことを言ってきた。
一瞬ためらうも、外から訳知り顔で眺めてノスタルジックな気分に浸るだけでなく、その光景の中に入ってみるも悪くないかもしれないと思い直す。
これもまた……〝縁〟だ。
紙コップに残った、少し溶けかけのシャーベット酒を喉に流しこんで、後輩の手を取り盆踊りの列へと加わったのだった。
さけ×こえフルール第6話(五十嵐雄策原作)
【G’sチャンネル掲載URL】
https://gs-ch.com/articles/contents/ar92hDKWKNjyPQ2mvfasohjP
「さけ×こえフルール」単行本1巻,発売中!

五十嵐雄策プロフィール▶
小説家・シナリオライター。東京都生まれ。
2004年KADOKAWA電撃文庫からデビュー。
ゲームシナリオや漫画原作、YouTube漫画脚本やASMR作品脚本なども手がける。趣味はお酒を飲むこと、釣り、旅行、ドライブ、ピアノ演奏等。他、著作に「ひとり飲みの女神様」(一迅社メゾン文庫)、「ひとり旅の神様」(メディアワークス文庫)、「七日間の幽霊、八日目の彼女」(メディアワークス文庫)など。