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『お祭りと日本酒②』
2025.08.15更新
『日本酒と秋の先取り』
九月になった。
暦の上や気象学では秋と銘打たれるものの、まだまだ蒸し暑い日が続き、夜になってもなおまとわりつくようなむわっとした空気からは秋の気配は微塵も感じられない。
いつものように仕事を終えて帰宅した私は、部屋のエアコンのスイッチを入れながら晩酌の準備をしていた。
今日飲むお酒はもう決めていた。
少し前に行きつけのお店に入荷されていた、これこそ〝秋〟と言えるような一本。
気温や体感からはまだ秋を感じられないのなら、せめて他のもので秋を感じたいと思った結果である。
『喜久盛 松茸酒』
文字通り日本酒に松茸が漬けこまれているお酒。

全体はうっすらと色づいていて、瓶の上方にはスライスされた松茸が浮かんでいる。ラベルに描かれた松茸のイラストも印象的だ。
秋と言えば松茸。
松茸と言えば秋。
そんな単純極まりない思考でセレクトされた本日の主役だった。
とはいえ、それだけで選んだわけではない。
グラスに注ぎ、そっと顔に近づける。
漂ってくる香りはまさに松茸で、あの土の湿り気や落ち葉の温もりをまとったような芳醇な香りが、強く鼻を抜けていく。
そしてそのままおもむろに喉に流しこむ。
香りの割に、味わいは意外とあっさりしているのが印象的。するする飲めるのも、キノコ特有のえぐみなどがまったく感じられないからだろう。ただ余韻にはしっかりと松茸の香りが残る。
食中酒でも、そのままでもおいしいタイプ。
そう、普通に飲んでも私のお気に入りということで、見事に今日の一本となったのだった。
香りと味わいを存分に楽しみながら、グラスを飲み干す。
そして……お楽しみはここからだ。
私は心の中で一人ほくそ笑むと、キッチンに用意してあった銀色のちろりに松茸酒を注いだ。
お酒を六分目くらいまで入れて、お湯を張った鍋の中に投入。
あとは温度計を見ながら、適温になるのを待つだけだ。
そう、お燗である。
本来だったらこの時期に飲むのには少し暑いものの、部屋の中はそろそろエアコンが効き始めてきていて、その心配もない。
やがて温度が十分上がったのを確認して、鍋から取り出したちろりを傾けて、お猪口にお酒を注ぐ。
そのまま、一口。
「はぁ……」
思わず声が漏れてしまう。
この熱燗が……おいしいのだ。
松茸の香りがさらに立ったまろやかな風味はまるで土瓶蒸しのようで、身体に優しくじんわりと染みこんでくる滋味を感じさせる。
目を閉じればそこに浮かぶのは、松茸が生えている秋の山の景色。
ちょっと邪道だけど、こういう秋の先取りがあってもいいだろう。
さらにお猪口にもう一杯注ぎ、部屋の窓を開ける。
外の空気は、まだ温さを伴ってはいたものの、さっきまでよりはだいぶ過ごしやすいものになっていた。
まだまだ遠いように思えて、秋は少しずつ迫ってきているのだ。
とはいえもう少しだけ、このお猪口の中の小さい秋を楽しもう。
どこかから、かすかに鈴虫の鳴き声が聞こえたような気がした。
さけ×こえフルール第6話(五十嵐雄策原作)
【G’sチャンネル掲載URL】
https://gs-ch.com/articles/contents/ar92hDKWKNjyPQ2mvfasohjP
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五十嵐雄策プロフィール▶
小説家・シナリオライター。東京都生まれ。
2004年KADOKAWA電撃文庫からデビュー。
ゲームシナリオや漫画原作、YouTube漫画脚本やASMR作品脚本なども手がける。趣味はお酒を飲むこと、釣り、旅行、ドライブ、ピアノ演奏等。他、著作に「ひとり飲みの女神様」(一迅社メゾン文庫)、「ひとり旅の神様」(メディアワークス文庫)、「七日間の幽霊、八日目の彼女」(メディアワークス文庫)など。