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【ときめく一献】
2026.01.28更新
【ときめく一献】卯月:河豚
日本酒が好きな人は、「河豚」という言葉に、いつも以上にワクワクを覚えるのではないだろうか。刺身で、鍋で、揚げ物で、ひれ酒で、〆はもちろん雑炊で。これほど調理方法によってそれぞれの味わいや食感が変わる食材というのも、なかなか珍しい。
河豚の薄造りが器に並ぶと、場の空気が少し静まる。一枚ずつ丁寧に味わうのも美しいのだが、ついつい贅沢に数枚まとめて箸でつかみたくなる。口に含み、歯応えを楽しみながら噛むと……河豚の上品な甘みが口内に広がり、何とも言えない幸福感に包まれる。一気に贅沢になるというより、河豚がこちらに歩み寄ってくるような感じ、と言えばよいだろうか。
それは、ちょっとだけ日本酒を注ぐときの感覚に似ている。慎ましくいこうと思いながらも、「今日は、もう少しだけ」と、ほんの少し多めに注いでしまう、あの一瞬。
河豚は、決して分かりやすい味ではない。噛んだ瞬間にすぐ主張する香りも、強い甘みもない。でも、口の中にしばらく置いておくと、じわじわと旨味が立ち上がり、すっと消える。そこに合わせたい日本酒は、香りで引っ張らないものがよい。派手な吟醸香よりも、米の旨味が静かに広がるタイプがお気に入りだ。河豚を何枚か重ねて口に含んだときの量感を、きちんと受け止めてくれる懐の深さがある酒。

海外の友人たちに河豚の話をすると、必ず聞かれることがある。「なぜ、日本人はそんな危ない魚を食べるの?」と。確かに、河豚は昔から危険な魚だった。関西地方では、鉄砲に当たるという表現と河豚の毒に当たることを掛けて、「鉄砲」と呼ばれている。ゆえに関西地方では、河豚刺しを「てっさ」と言うらしい。

日本の河豚の歴史は、なかなか古い。さかのぼれば縄文時代から、河豚は命がけで食べられていたようだ。さすがに毒による事故が続き、戦国時代には豊臣秀吉が、河豚を食すること自体を禁じたとも言われている。それでも、河豚は日本から消えなかった。山口や大阪など一部の地域では、どの部位に毒があり、どう扱えば安全なのか、その知恵が密かに受け継がれていった。
転機は明治時代。下関で河豚を口にした伊藤博文が、その美味しさに心を動かされ、「正しく調理すれば、これは食べられる」と、河豚食の解禁に道を開いた。そこから免許制度や厳しいルールが整えられ、河豚は“命がけの魚”から、“責任を持って扱う料理”へと変わっていく。危ないからやめる、ではなく、危ないからこそ、知って、扱って、責任を持つ。その選択が、今の河豚文化をつくった。
おそらく今日まで多くの命の犠牲を重ねた上で受け継がれてきた、稀有な食材「河豚」。そんな歴史をひもといた上で食せば、日本酒の時間を少しだけ深くしてくれる。
そして、〆の雑炊とひれ酒で、今宵も幸せな一献なり。
著者:小門 亜裕子(料理家)プロフィール
「WASHOKUを世界に!」をキーワードに、世界へ日本の「美味しい」を届ける活動をしている。年間3,000人の訪日外国人が受講する和食料理教室 Buddha Bellies を主宰。
著書『英語でレッスン!外国人に教える和食の基本』
(IBCパブリッシング)
プロフィール:小門 亜裕子 (料理家)「WASHOKUを世界に!」をキーワードに世界に日本の「美味しい」を届ける活動をしている。年間3000人の訪日外国人が受講する和食料理教室Buddha Belliesを主宰。著書 『英語でレッスン!外国人に教える和食の基本』《秋山亜裕子 IBCパブリッシング》
