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『おりがらみと一年の終わり』
2024.12.05更新
『燗酒と人生と』
二月。
新年を迎えて一ヶ月が経ち、寒さもピークを迎えるこの時期。
一年で最も寒い月だと言われ、空に白いものが混じる時もあるけれど、寒い時期には寒い時期の楽しみがある。
それは何かというと……
「やっぱり……冬はお燗よね」
お猪口に注がれた、わずかに湯気を上げるお酒を目にして、頬が思わず緩んでしまう。
はやる心を抑えながら、手にしたお猪口を傾ける。
華やかな香りがふわりと漂い、続いてほどよい温かさの液体が滑らかにするりと何の抵抗もなく喉を通り過ぎていく。
「はぁ……」
ため息が漏れる。
飲んでいるのは『純米酒 黒牛』をお燗にしたもの。
体温とほぼ同じ温度であるぬる燗は、じんわりと、文字通り全身に染み入るかのようだ。
お燗にはいくつか目安となる温度があって、熱燗は50℃、上癇は45℃、ぬる癇は40℃、人肌癇は35℃あたりだと言われている。
私はぬる癇が好きで、いつもこの時期にお店に飲みに行った時には、必ずと言っていいほど注文していた。
だけどある日、自分でもお燗ができると知った。
家では面倒なのではと思って敬遠していたけれど、そうと聞かされてはやらないわけにはいかない。
ところが、これがやってみると実に面白かった。
同じ温度でも、たとえば普通にぬる癇に温めたものと、一度熱燗の温度まで上げてからぬる燗にまで冷ましたものでは、味が違うのだ。
後者の方が、明らかに味と香りが開いて、深みが出る。そのやり方を〝燗冷まし〟というのだということも、その時に知った。
同じ温度の同じお酒なのに、そこまでのやり方で味が変わる。
そこに至るまでの過程で、たとえたどり着いた場所は同じように見えても、その内にあるものが大きく変わってくる。
何だか人生みたいだと思った。
自分の日頃の立ち振る舞いで、色合いが、味わいが、風味が、まったく違うものになる。
大げさだと言われるかもしれないけれど、私にはそう感じられたのだ。
それ以来、家でのお燗は定番になった。
最初こそ電子レンジを使って温めていたけれど、すぐに鍋にお湯を張りそこに徳利を入れるやり方に、そこから専用の酒癇器を買うまでさして時間はかからなかった。
そして今日もこんな風に、外の寒さを横目に、コタツで一人様々な温度のお燗を楽しんでいるのだ。
「次は熱燗がいいかしら」
二杯目の徳利を温めながらふと思う。
この先、私の人生は、どんな味わいになるのだろうか。
普通に温めたぬる燗なのか、燗冷ましのぬる燗なのか、はたまたとびきり癇のような思いも寄らないものになるかもしれない。
それはこれからの生き方に、私というお酒の温め方に、全てはかかっているのだ。
「それって……すごく面白い」
ただ願うのならば、ちょうどいい飲み頃のぬる燗のような幸せな人生だったと、最後にそう言えるものであってほしいと思う。
少しだけ熱くしすぎてしまった黒牛を口に含みながら、小さくそう苦笑するのだった。
五十嵐雄策プロフィール▶
小説家・シナリオライター。
東京都生まれ。
2004年KADOKAWA電撃文庫からデビュー。
ゲームシナリオや漫画原作、YouTube漫画脚本やASMR作品脚本なども手がける。趣味はお酒を飲むこと、釣り、旅行、ドライブ、ピアノ演奏等。他、著作に「ひとり飲みの女神様」(一迅社メゾン文庫)、「ひとり旅の神様」(メディアワークス文庫)、「七日間の幽霊、八日目の彼女」(メディアワークス文庫)など。