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【蔵元訪問記】蔵元訪問記/金升酒造(新潟県)
2024.12.10更新
【蔵元訪問記】蔵元訪問記 柏露酒造
清酒「柏露」の発祥は旧長岡藩主牧野家の歴史の中から紐解かれる。明治9年(1867)1月、旧藩主牧野忠訓(ただくに)の正室つね子が旧長岡城に醸造場を創設。旧城下の元町人たちが技術を提供して醸造を開始する。出来上がった800石の清酒は、戊辰戦争で焼け野原になった城下の復興に勤める旧家臣や、領民に振る舞われた。それは彼らへの牧野家からの労い、励ましの酒だった。
1882年(明治15年)には、長岡城下で1751年に酒造業を開始していた越中屋又七の5代目が、牧野家の酒蔵を引き受ける。同家の家紋「三つ柏」と清酒「柏露」を譲り受け、後の柏露酒造へと続いていった。
淡麗辛口をベースにした酒は造り続けたい
長岡市の発展に寄与した牧野家の3つ柏の紋を銘柄に記し、大名蔵として歴史の深い柏露酒造ですが、そういった歴史がある故の想いはありますか?
竹迫社長 牧野家の家紋をいただいている以上、新潟の酒の持ち味である淡麗辛口をベースにした酒は造り続けたいです。
白原蔵長 去年と同様、美味しいねと言われるためには毎年少しずつ美味しくする。米を前年より磨いたり、香りの高い酵母を少しブレンドしたりしてバージョンアップしています。淡麗辛口は薄くて辛いわけではない。旨味があってすっきりというのをベースにしながら少しずつ去年より味を良くすることで、伝統の味を維持できるのかなと。
白原蔵長は、45年の職歴があると伺いましたが、酒造りで変化していったことは?
白原蔵長 新蔵を建てて、醪管理は楽になりました。従来は2トン総米仕込みでしたが、今は3トン総米仕込みでやっています。
造り方は変らない。ただ洗米機を入れたり、分析機器を変えたりと、もともと柏露酒造は機械化を進めていましたし、住み込みの越後杜氏から、通いの社員化にしたのも早かった。今は5000石製造しています。 機械化を進めている造りもあれば、「さんずい」の様に小仕込みでこだわった商品も製造しています。
「さんずい」が発売されたとき、新鮮な味わいに衝撃を受けました。
白原蔵長 水に拘っています。さんずい偏は水を表し、他の漢字に付けられてその意味を成します。蔵元の命といえる「水」と「伝統的な技術」が出会うことで生み出された清酒が「さんずい」です。
2015年の発売当初は、季節商品で年4回、純米大吟醸で出しました。創業270周年の節目で新杜氏・野田晋一郎の元でリニューアルし、水、米、酵母で新潟県に拘りました。
酵母は自家培養で増やしていく
普通の「五百万石」で良いものを造り出したかった。小仕込みできめ細かい醪管理をし、搾ってすぐに瓶詰め、貯蔵してフレッシュさをキープします。
今、一番のヒットは「柏露花火」
「さんずい」はヒット商品ですね。
国井 今、一番のヒットは「柏露花火」です。先日の酒の陣では写真を撮っていかれる方も多く、過去一売れました。「柏露花火」も3回リニューアルしましたが、こういう商品で若いファンをもっともっと取り入れたいと思っています。
若い層に向けた新たな商品開発に取り組んでいきたい。蔵人は今11人ですが、ほとんどが20~30代で、自分たちが造りたいお酒のアイデアを出し合いながら、それを取り入れていきたいです。
八木 うちの若い人間は皆、酒に強いですよ。飲み会の様子から、酒好きだからここで働いているんだなと感じました。酒造りは遣り甲斐はあるのではないでしょうか。
その先にアイデアも生まれる。
白原蔵長 まずは社内の人間が美味しいと思わないと商品化できませんよね。酒造りってものづくりのなかでも面白いのではないかな。意外と早く結果がわかりますから。
4月13日は初めての蔵祭り
竹迫社長 新商品で今までと違う方々をターゲットにしていきたいし、海外への輸出向け商品も考えています。
白原蔵長 ほとんど毎月新商品や、リニューアルなりを考えています。今ある商品は、いずれ全部切り替えていきたいです。その時代に合う酒というものがあると思う。
4月13日の蔵まつりは初めての試みですね。
国井 醤油組合と焼酎の美峰酒類さんに協力いただて開催します。柏露を25年間店舗で扱っていただいている牛丼の「吉野家」さんの出店もあります。
白原蔵長がバンドマスターを務めるジャズも聞けますよ。社員50人、みんなでひとつのことをやり遂げる、という機会を創りたかったのと、柏露酒造の認知度を向上させる蔵まつりです。ずっと続けていきたいです。
おひとりお一人が、真摯に対応してくださった柏露酒造の方々。「今よりもっとうまい酒、愛される酒を」をモットーとする柏露酒造のこれからの進化に、社員一同の一致が活かされていく。
【柏露酒造】新潟県長岡市十日町字小島1927番地 新潟長岡の酒造 柏露酒造 (hakuroshuzo.co.jp)