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【蔵元訪問記】蔵元訪問記/須藤本家(茨城県笠間)
2024.12.05更新
【蔵元訪問記】蔵元訪問記/金升酒造(新潟県)
山間地区に広がる江戸時代からの田んぼの景色。青空とのコンドラストが美しく、この美景が日本人の食生活の豊かさに繋がっていくはずなのに、残念ながら限界集落と言われる農耕地。
酒蔵との連携で継承できるならと、金升酒造専務取締役杜氏・高橋巌氏(59歳)は、友人と「かなうカンパニー」を立ち上げて、米農家の継承を決意する。
社名には夢を叶えたいという想いが込められている。
農家の協力で、稲の栽培から収穫までをやり遂げ、10年の歳月が流れた。今年も農業と酒造りの仕事の両輪を、全力で稼働させる高橋杜氏からお話を聞くことができた。
米農家を継承した「かなうカンパニー」の田んぼ↑
すっと味わいが消えていく。この切れが大切。
料理と一緒に飲める酒を造りたい
●今までの専務の経歴を教えていただけますか。
東京農業大学を出て、4年間他の酒蔵にいて、清酒の造りをざっくり覚えて28歳で今の酒蔵に帰りました。34歳で杜氏になり、今は僕も入れて4人てで造っています。
●200年以上の歴史のある酒蔵で、とういう変遷がありましたか。
以前は寺泊から杜氏さんが来ていましたが、昭和30年代から社員制にしています。精米機が開発されたのが昭和初期。吟醸酒は存在してなくて、平均精米歩合80%位だったでしょうね。昔と今では商材としての認識が違う。飲むものから嗜むものに変換できた蔵が今も残っていると思います。うちは元々飲み手ファーストのところはありました。
今は僕の好みですが、食中酒じゃないとつまんないです。僕はずごく飲むときに食べるんで。やっぱり料理と一緒に飲める酒を造りたい。ただ、一対一のペアリングではない。そもそも日本酒って、マリアージュの概念じゃない。甘味があるのと酸が少ないのが日本酒の守備範囲が広い理由です。とんかつからお刺身までいける。
僕が考えてる酒の形は滑らかで、ほどよい穏やかな香りがあって、ほんのり甘さがあって、新潟の酒らしい切れのある余韻の短い酒。すっと味わいが消えていく。この切れが大切で、もつべき性能だと思う。いつまでも味があるような酒は料理には合いにくい。この路線で、品質をアップをさせてきたい。お客さんの動向も見ながらね。
●今後の新商品は?
いろんなニーズを掬って、中身の味わい、外観、ブランドストーリーの再構築が必要です。ネタは揃った。田んぼもやっているし、あとはアレンジ、見せ方をもう一回つき突き詰めないとダメだなって。
●蔵開きにも力を入れていらっしゃる。
アウェーの試合は弱いので、ホームゲームで戦おうと思いました。新潟駅へ行ったら新潟酒が100銘柄位売られているし、その中で選ばれるのは至難の業。蔵開きなら金升しかないし、ここで飲んだら美味しい。
まずはホームで認知してもらうことを目的にしました。普段は酒蔵見学はしていないのですが、蔵開きのときは力を入れる。手仕事市や古本市などとコラボして、酒蔵見学の時間も設けました。今までは最高で1600人の参加がありまして、今後も開催します。
彼女にはその素質があるように思う
●昨年7月には娘さんの翠さんが入られましたね。
酒造りには米粒一粒一粒のことを考えなくちゃいけないときと、膠全体を一つの塊として考えなきゃいけない場面があります。そういうことがぱっと気づけるかどうかはもはやセンスですが、彼女にはその素質があるように思う。
彼女が修業先の別の酒蔵にいたときに、3年目の9月頃だったかな「あ~また造りが始まる」って一言言ったんですよ。酒屋の若い衆は、みんな大変だから「わくわくする]よんて言うのは素人です。あ~酒屋もんになってきたなと実感しました。
酒造りは経験を積んで、「そういえばこうだったな」と後で腑に落ちてくる。教
えられたその場でわかったという感じには絶対ならない。でも、どこかで挫折はするんだから、今は一緒にやりながらずっと褒めていますよ。
●今後の目論見は?
春、夏は田んぼをやって冬は酒造り、という会社の体制を作ります。今でも99.5%は自社製造米で酒を醸造していますが、製造数量が伸びてきて米が足りなくなってきています。収穫数を伸ばすと同時に米の品質の向上、量を充足させてもいきたい。
翠さんに託すことを聞くと、「たとえ酒造りをやめてもせめて髙橋家の家風を繋げてほしい。彼女が幸せになれば、おのすと継続していくでしょう」と娘の幸せを願う優しい父の顔に。庭で焚火をしてウイスキーを飲みながら語らうという親子の夢の先に、これからどんな酒が出現していくのだろう。竹林ゆうこ
金升酒造/ 〒957-0016新潟県新発田市豊町1丁目9-30 TEL. 0254-22-3131