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【全国各地「蔵の味」を求めて旅をする】山内聖子
2025.12.23更新
【全国各地「蔵の味」を求めて旅をする】 「白隠正宗」山内聖子
日本酒をこよなく愛する呑む文筆家が、地元でしか醸せない唯一無二の「蔵の味」を求めて全国各地の酒蔵へ旅する連載。
第3回目は、静岡県沼津市の「白隠正宗」を造る高嶋酒造へ伺いました。やわらかい口当たりと軽やかな深み。そして、「造るより飲むのが好き」という豪快な呑んべえとして知られている蔵元らしい、量を飲ませる飽きない酒質が魅力の「白隠正宗」に迫ります。
「白隠正宗」
高嶋酒造(静岡県沼津市)
高嶋酒造の創業は1804年(文化元年)。東海道の宿場町として栄えた場所・原宿に位置するこの蔵は、かつて地元のみならず多くの旅行客を相手に発展してきた。だが他の蔵と同様、昭和50年をピークに下降してく日本酒の消費減少の影響を受けて少しずつ規模を縮小し、いつしか数億円の負債を抱えるほどの経営難に。

しかし、そんな苦境に立ち向かったのが、2003年(平成15年)に蔵を継いだ現在の蔵元杜氏・高嶋一孝さん。その経緯は拙書『蔵を継ぐ』(双葉文庫)に詳しいが、ともあれ、先代が残した負の遺産にもめげずに飲み飽きしない美味しい日本酒を目指し、今や「白隠正宗」のファンは全国に広がっている。そんな「白隠正宗」を筆者はことあるごとに取材し続けているが、今回は十数年以上、取り組んでいる生酛造りについての話を中心にインタビューを行った。

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労力と時間がかかる古典的な手法
生酛とは、江戸時代に確立した酒母造り。自然に発生する天然の乳酸菌を活用して雑菌をバリアし、強い酵母を培養できる古典的な手法だ。冷蔵設備がない時代だからこそ生まれた、この雑菌を防ぐ酒母造りは、あらかじめ雑菌を予防できる人工乳酸を添加する速醸酛に比べて労力と時間が倍以上かかるが、現在でも挑戦する酒蔵は後を絶たない。

伝統や歴史といったストーリー性もさることながら、おそらく生酛でしか醸し出せない酒質が造り手を惹きつけるのだろう。「白隠正宗」を造る高嶋さんもその魅力に惹かれ、2013年(平成25年)から生酛造りを開始した。
ドライで深い酒質
「生酛は、コクや旨みなどの押し味を酒に与えるところが魅力です。それがD型のアミノ酸。醤油や味噌、糠漬けなどの発酵食品から生まれる旨味成分と同じですね。他にも例えば甘エビに砂糖は入っていませんが、食べれば甘いと感じるようなものがD型アミノ酸。これが、僕が造りたいドライで深い酒質を形成するために欲しい、自然な甘露でありコク味なんです」
そう、高嶋さんは生酛からできる酒の魅力を語るが、「でも不思議なのが」と話を続ける。
「同じ発酵からなる日本酒でも、速醸酛だとD型アミノ酸は生まれません。アミノ酸はタンパク質がプロテアーゼに変化することよって発生する成分ですが、この変化が起きる時に乳酸菌が近くにあるとD型になり、そうじゃないとL型になります。
L型は速醸酛から生まれる旨味成分で、仕込む際にこの成分を考慮して酒を造らないと味がくどくなりやすい。日本酒にはアミノ酸が欠かせないといっても、生酛と速醸酛ではできる成分が異なるんですよ」
これらは、高嶋さんが敬愛してきた生酛造りのパイオニアである「菊正宗」から得た知見だという。
ロジックの基本
「蔵を継ぐ前に蕎麦屋で飲んだことがきっかけで、「菊正宗」という長く広く愛される普遍的な酒質に胸を打たれたのですが、なぜそう思ったのかはしばらく漠然としていました。でも、それを探っていくうちに胸を打たれた根本には、生酛造りがあったことに自然と気がついたんです。僕の生酛造りのロジックの基本は「菊正宗」さんにあります」
とはいえ、「菊正宗」がある灘と「白隠正宗」の沼津では土地柄が違い、今まですんなりと生酛造りを遂行してきたわけではない。例えば仕込み水。灘は、微生物の働きが旺盛になりやすいミネラル豊富な硬水の地域だが、沼津は超軟水というハンデがある。硬水の方が生酛造りには適しているのだ。
硝酸還元菌
「うちで使うミネラルが少ない軟水だと微生物の働きつまり発酵がゆるやかなので、硬水に比べると不利な部分はあります。でも、試行錯誤していくうちにここ数年でわかったのは、ちょっと専門的な話になりますが、生酛造りで必要な乳酸菌と結託して雑菌を防ぐ亜硝酸という成分を作る、硝酸還元菌が多い水で仕込むと後はどうにでもなる、ということでした」
硝酸還元菌が多い水はどうやって作るのか?
「生酛で使う仕込み水は、10日間くらい常温で放置した水を使います。あえてこうすることで微生物を増やし、硝酸還元菌を増やすんです。この水を使ってからは亜硝酸反応が安定し、余計な雑菌をさらに抑え込んで強い酒母を造ることができるようになりました」
量を飲める酒
それは酒質の安定にもつながった。
「ぶっちゃけ、生酛は亜硝酸反応が出なくてもできますし、乳酸菌が増殖していれば問題なく発酵はできます。でも僕は目に見えない微生物の力でできる生酛だからこそ、念には念を押して雑菌を防ぐ環境をつくりたい。
そうした方が、確実に雑味がない酒質になります。実際に、生酛の仕込み水を改善する前は、微量ですが余計な微生物が入り込んだと疑いたくなる、ネガティブな香りや余計な味が酒に出ることがありました。量を飲める酒を造りたい自分にとっては致命的なので、これが解消されたことは、うちにとってかなり大きい。生酛の改良は、さらに飲み飽きしない酒質を進化させる足がかりになりました」

干物と相性抜群で、ぜひ熱々燗と合わせたい
高嶋さんは最後にこう語ったが、「でもね、なんやかんや言っても酒を一番よくできる方法は市場(酒場)で開封された酒をとことん飲むことですよ。
蔵で唎き酒してばかりじゃ、自分の酒の本当の姿はわからない」とニンマリ。今夜どこで飲もう、というような物思いの表情で筆者を促し、急にそわそわし始めた。

程よく酢が効いた寿司にもぴったりで徳利がすぐに空になった

蔵元杜氏の高嶋一孝さん。いい笑顔!
<山内聖子プロフィール>
呑む文筆家・唎酒師
1980年生まれ、岩手県盛岡市出身。22歳で飲んだひと口の日本酒がきっかけでライターの道へ。駆け出しの頃は浜松町時代の名酒センターでバイトしたことも。現在は酒にまつわることについて各媒体で執筆中。著書に『蔵を継ぐ』(双葉文庫)、『いつも、日本酒のことばかり。』『夜ふけの酒評 愛と独断の日本酒厳選50』『日本酒呑んで旅ゆけば』(共にイーストプレス)、『酒どころを旅する』(イカロス出版)、『BARレモン・ハート意外に知らない酒の基本知識』(双葉社)など。












































