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【蔵元訪問記】蔵元訪問記/天鷹酒造(栃木県)
2024.10.29更新
【蔵元訪問記】無法松酒造(福岡県)
日本三大カルストのひとつに数えられる平尾台の麓町、北九州は小倉南区新道寺。かつて石灰石産業で栄えたこの町で、無法松酒造は酒を醸す。明治10(1877)年に清酒蔵として創業、昭和40年代後半から焼酎、平成に入りリキュールの製造をスタート。それらのほとんどが北九州市内で流通し、消費される、という地酒の中の地酒メーカーだ。
◆小倉の地で百四十余年
代表銘柄の「無法松」は、小倉が舞台となる岩下俊作の小説「無法松の一生」に由来する。
かつて4度も映画化され、名だたる名優たちが演じてきた主人公の無法松の名を冠する酒とは、そしてその酒を醸す蔵元とはどのような人物なのか。
焼酎仕込みの終わりと清酒造りの始まりの狭間、その門戸を叩いた。
◆苦難の蔵元ストーリー
「無法松」の暖簾を下げた、趣のある蔵構えがまず目に入る。
少し奥に目をやると、比較的新しい建物も2棟確認できた。間口から想像するよりも大きそうだ。
南東の方角には、人工的に掘削されたとわかる直線的な、白い平尾台の岩肌が望める。
出迎えてくれたのは9代目蔵元・山家勉さん。
山家さんを含め3、4名で100石弱とコンパクトな酒造りをしている。
山家さんはもともとこちらの蔵のお生まれということで、なるべくして蔵元になったのかと想像していたが、そうではないという。
詳しく伺ってみると、苦難のストーリーがそこにはあった。
当初は酒造りとは関係のない職に就いていた山家さん。
11年ほど前、蔵元だったお父様が突然他界され、後継者が不在だった無法松酒造は窮地に立たされる。
自分が戻らなければどうしようもないと、突如として酒造りに身を投じることになった。
「いざ戻ってみると、酒造りは当然右も左もわからない。蔵の電気の付け方も知らないんです、自分の家のことなのに。愕然としていました」と山家さん。
先ずは酒造りを身に付けなければと意を決し、3年間ほぼ休みなくみっちりと修行。
平成25年12月、正式に入社を果たしてからも模索を繰り返しながら、今日まで走り続けてきた。
現状には留まらず、挑戦したいことがあるという。
「生酛造りをやってみたい。まったく経験のないところからですが、まずは試してみたい。」と意欲的。
経営面では、観光蔵としての在り方を探っていきたいと話す。
近くの平尾台や千仏鍾乳洞など観光資源もあるため、以前はツアーバスの立ち寄りの需要もあったが、コロナ禍で観光客は激減。
観光需要がいずれ戻ることを見込み、再起を図る。
◆コンパクトだが広々とした蔵
無法松酒造が製造している酒類のうち六割近くが清酒を占め、三割強が焼酎、一割弱がリキュール。
それらを製造、貯蔵するにはそれなりの設備が必要となるが、敷地奥の白い外壁の2棟がその機能を担う。
設備は必要最低限、建屋の中は広々としており安全に作業が可能な印象だ。
山家さん曰く、作業工程の次のセクションまで遠いのが難点だと笑う。
目を引いたのは、いまでは日本で数機しか使用されていないという圧搾機(醪を酒と酒粕に分離させる装置)。
日本で最も使われている「ヤブタ式」と似た構造に見えるが、とても背が低く濾過板に厚みがある。
買い替えを検討しているそうだが、面白いものを見ることができた。
◆実直な姿勢で醸し続ける
小説の主人公、荒くれ者の無法松とは裏腹な、柔和な人あたりの蔵元・山家さん。
酒質は現状維持ではなく、常に向上を意識している、という。
無法松は実直な面も描かれるが、その姿勢は少し似ているな、と感じた。
いまやれることを確かにやり、その上でやれることを広げていく。当たり前のようだが難しいことだ。
山家さんが醸していく1本1本に、期待してやまない。
【無法松酒造有限会社】
〒803-0186 福岡県北九州市小倉南区大字新道寺310
TEL:093-451-0002
FAX:093-451-0095