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【蔵元訪問記】蔵元訪問記/天鷹酒造(栃木県)
2024.10.29更新
【蔵元訪問記】宇都宮酒造
仕込みを終えた酒蔵は、しばらくはメンテナンスの時間となる。写真は殺菌剤である柿渋を塗っていく作業だ。木を使っているヶ所は全部に施す、という。
1871年創業の宇都宮酒造が繰り返し行ってきた作業であり、こういったことが蔵を守ってきた。
メンテナンスを経て、今年も酒蔵では仕込みが始まっている。
「たとえ小さな盃の中の酒でも、造る人の心がこもっているならば味わいは無限です」をモットーに、代々受け継がれた酒造りを担っていたのが今井昌平氏。現在は専務取締役杜氏だが、11年やってきた杜氏を、今年後任へ譲る。
酒蔵の経営に携わることを決意した今井昌平氏が今思うことは・・・。
大学受験は農大1本
・杜氏に就任された11年前、野望はありましたか
最初は今までの流れでその通りやろうと思ってましたが、教本通りに1回造ってみようと1年造ってみました。その結果、吟醸は重くなりました。(笑)
ただ、そんな経験が今に生きてます。どこまでやればどこまで崩れるのか、というのを肌身で感じておきたかったので、初めは冒険で、いろいろ挑戦しました。そうやって、良いものを造るのはこうするべき、というのがわかるようになりました。そのときにデータ取りをしましたので、私以降の杜氏がやってもできるマニュアルができました。
・あとを継がれることは決めていたのですか?
酒造りは父がずっと携わっていて、僕は小学校のころから利き酒してました。息子が利き酒ができるって自慢したかったんじゃないかな。姉が二人いますが、睡眠学習のように、毎晩お前は酒蔵を継ぐんだと寝ている私に語り掛けていたそうです。
大学受験は農大1本でした。農大に入って同じ想いの人たちとの出会いがあって、日本酒を造れるいい環境に生れてきたんだなって確信しました。同じ仲間、ライバルによって、中途半端な気持ちではだめなんだなと気づきました。
九州の「香露」熊本県酒造研究所には実習で行ったことがあって、大学卒業後には吟醸造りのときだけ3年間お世話になり、夏は地元の小売店さんから、宇都宮の飲食店に配達に回っていました。
私が帰った頃はうちの蔵には岩手から杜氏さんが来てました。杜氏のもとで下働き1年、麹屋を15年やり、杜氏が引退してから私が杜氏を引き継ぎました。
私が13歳の中1のときに
・今の菊地社長の前々はお父様が蔵元でいらして、まだ今井専務が若い時に他界されている。
父は私が13歳の中一のときに亡くなりました。胃がんになって、寿命も告知されていて、それでも酒造りに没頭してました。
そういう姿を見た父の友人である農家の人たちが柳田酒米研究会を作って、酒米を作付けしてくれました。今も5名の方が作っています。発足して29年たちます。
「五百万石」、「美山錦」を作っています。うちの代表的な酒「はつはな」という本醸造のお酒は「美山錦」で造ります。これはうちの酒の特徴を表すお酒で、最初甘く感じさせて後切れがいい。「美山錦」じゃないとできないお酒です。
桜の名に恥じない酒造りを
・「四季桜」をどんなお酒にしたいですか?
「四季桜」というのは父が命をかけて守ってきたものですから、桜の名に恥じない酒造りをしたい。昔から飲んでいただいている方に、味が変わったと思われないように味の再現を続けていきたい、後は私色の時代にあったお酒を展開していきたいです。
今後は(*)イソアミ系を主体にして、食中酒としてオールマイティなお酒は外せませんね。
・どんな経営者を目指しますか?
杜氏をやったという経験を活かして、現場の考えも取り入れて、ハイブリットな経営をやっていきたいです。
人が大事。そのプラスアルファが酒。おやじのファンがいたから「四季桜」が大きくなったので、私を好きになって、私を後押ししてくれるファンをどれだけ作れるかっていうのが私の課題です。
造り専門できているので酒の説明はできるんですが、これからは、販売のセンスなどを磨いていきたいです。父を超えるぐらいじゃないと「四季桜」の伸びはないと思います。
私はあまり酒を飲まない方なので、私の足りないところは妻にがんばってもらって、飲兵衛の妻の意見を聞きながら、互いに足りないところを補っていきたいです。
(*)「イソアミ系」
「酢酸イソアミル」のことで、「酢酸イソアミル」とは、「吟醸香」の香気成分のひとつ。バナナやメロンのような香りにたとえられます。同じ、吟醸香の主要成分である「カプロン酸エチル」は、りんごや梨、パイナップルなど甘酸っぱい香りにたとえられす。いずれも酵母の種類によって、どちらの成分が多く生成されるかが決まります。
【宇都宮酒造】
〒321-0902 栃木県宇都宮市柳田町248 TEL. 028-661-0880