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【中沢けいの酔々日記】 しし鍋を食べに行く
2024.12.05更新

誌面ビミーで長年連載している中沢けい氏の「酔々日記」です。文士の筆遣いに、日本酒が気持ちよくあふれでてきます。
【中沢けいの酔々日記】 生貯蔵酒純米大吟醸
森鴎 外の「渋江抽斎」の主人公、渋江抽斎は弘前藩の藩医である。江戸生まれ、江戸育ちで江戸の藩邸に出仕していたが、ある時、国元の弘前へ出ることになった。抽斎が酒の味を覚えたのは、雪国の冬をやり過ごすためだったと鴎外は描いている。酒は身体を内側から温めてくれる。

生貯蔵酒純米大吟醸と表示されたお酒を頂戴した。たいへん上等なものであるのは間違いない。これはそのへんにほっぽらかして置いてはいけないのだろうなと瓶を眺めた。酒瓶が新鮮さこそ命と言っているような気がする。やっぱり冷蔵庫に入れなければもったいないお酒だろうねと、酒瓶に向かって返事をする。酒瓶がうなずく。寒いところで育ったお酒でしょうねとつぶやく。酒瓶はそうそうとうれしそう。
だが、しかしである。我が家の冷蔵庫は満杯状態で、どうやっても720ミリの瓶が収まるスペースができそうにない。はて、どうしたものやら。すぐに召し上がれと、酒瓶君はたいへんにこやかな顔をする。ひとりで720ミリを飲みきってしまう自身はない。
じゃあ、どうするか。冷蔵庫の中から食べてしまえるものを見つけ出しスペースをあけるのが得策だ。そう考えて冷蔵庫のなかをみまわせば、暮れにかったべったら漬けがあった。一切れ、二切れは美味いが、大根を一本食べるとなると、これは難行苦行だなと諦める。
そうこう考えているうちに、ふと燗冷ましとか煮切り酒の香りが鼻の先をよぎっていった。お正月料理は煮物が多いので、お酒に煮切っていた。酒の入った小鍋に火にかけ、煮立ったところでマッチの火で、アルコール分を飛ばす。日暮れなどは、小鍋の青い光が妙にきれいだった。
そうか、生貯蔵蔵酒純米大吟醸は口開けの新鮮なうちに楽しむだけ楽しみ、あとは煮切り酒かなという気になったら、酒瓶君が「え~」と不満そうな顔をした。
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1959年生横浜市生まれ。千葉県立安房高等学校卒業。 明治大学政治経済学部卒。 1978年小説「海を感じる時」で第21回群像新人賞受賞。 1985年小説「水平線上にて」で第7回野間文芸新人賞を受賞。 公式サイト↓ http://www.k-nakazawa.com/profilelist.html |
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